安土桃山時代に薩摩藩 島津忠良が、武士の志気を養う為、教訓的内容の歌伴奏に薩摩盲僧琵琶を使ったのが根源です。
質実剛健を重んじる「士風琵琶」は、江戸期には武家から町人階級にも広まり「町風琵琶」が生まれました。
明治後期に分派した永田錦心の錦心流に対し、本来の薩摩琵琶を正派と呼びます。更に昭和に錦心流から水藤錦穣が錦琵琶を、同じく錦心流より鶴田錦史が鶴派を開きました。
胴体は表裏それぞれ一枚板で、材質は桑が多く用いられています。また撥は大きく、幅が約30cmほどあります。
薩摩琵琶の絃の数は四本、絃を押さえる柱は四本の四絃四柱ですが、現在は五絃五柱も用いられています。
演奏は勢いよくかき鳴らし、時により撥を琵琶にあてて演奏します。
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