筑前琵琶は遡ること桓武天皇の頃、九州筑前(現 福岡県)にある天台宗 成就院の橘玄清を祖とします。
玄清は延暦7年に最澄が比叡山延暦寺創建の際に大いに貢献し、琵琶を弾じ地神経を読誦、その法力を認められ朝廷より「法印」の号を賜ります。
橘玄清没後、安永10年に橘真定は京都粟田口の青蓮院宮門跡より「院号」を授けられました。
明治には橘玄清法印より第三十五世にあたる初代 橘旭翁が「筑前琵琶」を創成しました。 初代 橘旭翁の尽力により、明治から昭和にかけては、薩摩琵琶と人気を二分するに至ります。そして現在、筑前琵琶は「橘会」と「旭会」があります。
筑前琵琶は三味線音楽の影響を受けメロディは旋律的でもあり、弾法も薩摩琵琶と異なり、歌唱(語り)と同時に奏する部分があります。
筑前琵琶は「四絃五柱」と「五絃五柱」の2種類がありますが、現在は五絃五柱が主流です。
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