「成就院玄清法印芳蹤記」によると、玄清は琵琶を弾じて地神陀羅尼経(じしんだらにきょう)を読誦、国土案穏を天仏に祈っていましたが、延暦四年(785)の二十歳の時に一つの心願を持って断食をし、琵琶を弾じて四天王を祈念しました。そして満願成就の日に「比叡山に行き最澄に会うべし」と霊托を受けたと言われます。
その頃、最澄は天台教を興隆する為、比叡山中に霊地を開こうとしていましたが、毒蛇が多く出て造営は困難を極めていました。かねてから玄清が、土公神供の秘法を修することを聞き知っていた最澄は、玄清が会いに来た時、魔物(毒蛇)退散について語ると、玄清は五色の幣幡、香華を供えて琵琶を弾じ地神経を読誦したところ、毒蛇は退散し、最澄の宿願を成就させることができました。
玄清は比叡山に留まること3年、そして最澄はついに延暦七年(788)念願の一乗止観院を完成させました。これが現在の比叡山 根本中堂(国宝)です。
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