明治25年(1892)、旭翁45歳にして研究のため、薩摩琵琶の本場である鹿児島へ向かいます。毎日睡眠時間2時間という、寝る間を惜しんでの薩摩琵琶の研究、取得に没頭し、僅か半年で習得、帰郷後は薩摩琵琶を基幹として、郷土の琵琶を改良することにしました。
これは弾法だけではなく、楽器そのものを改良し、それにより新しい琵琶歌を作曲することになります。この改良琵琶の名が広まるにつれ、聴衆や習う人も増えていき、上京してさらにこの改良琵琶を普及したいと思っていた折、朝日が昇る夢を三日三晩見たといいます。
「朝日が昇るのは東方である。かねて上京を思っていたところにこの様な夢を、それも3日間見るのは、きっと神のお告げで、東京で我が芸道のおこるべき吉兆であろう」と思い、愛用の琵琶に『旭』と命名しました。
|