橘玄清より第三十五世となる筑前琵琶 初代 橘旭翁(本名は橘智定 たちばな ちてい)は、嘉永元年(1848)に筑前(現 福岡)博多で生まれました。
旭翁は非常に明敏で、琵琶についても天性の才能があったと言われており、7歳の時に一面の琵琶を与えられ、12歳の時には祖母の三味線を見て、琵琶も三味線のように棹を取り外しできればよいのにと思い、胴、棹、頭に分ける継琵琶(つぎびわ)を考えつきました。
また、14歳の時にある師の琵琶弾奏を聴き、その素晴らしさに感動し、その手を覚えようと思いましたが、当時の琵琶絃は一から四まで異なった絃がかけてありました。しかし、旭翁は手を覚えようとしているうちに、三味線が本調子により三四の絃を等しく弾いていたのを思い出し、それを琵琶で試してみて、三四の絃を等しくして弾奏するようになりました。
旭翁18歳の時に、京都粟田口の青蓮院門跡へ参殿し、門主より法官、法衣、法位を認許され、法音(ほうおん)院という法名を賜ります。
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