父である初代 旭翁との五絃琵琶の制作、そしてその普及や弾法譜の刊行などに尽力、貢献した旭宗一世は旭翁の許可の下、22歳で自宅近くに琵琶道場を構え、本格的授業をはじめる様になります。
しかし、その後に旭翁が体調を崩し、旭宗一世は再び旭翁の代稽古をも兼任することになりました。
そして、程なくして初代 旭翁が逝去。旭宗一世は深い悲しみの中、旭翁亡き後も筑前琵琶存続と伝承のため、同年27歳にして「筑前琵琶 橘流 日本橘会」を設立し、ここに新たなスタートをきります。
門弟たちを多く抱え、総伝(現在の「ヘ授」にあたる)以上の者でなくては、旭宗一世に直接指導を受けることはできませんでした。 東京港区麻布の居へは、地方在住者は皆、毎回泊りがけで上京してお稽古をつけてもらいました。
また、門弟指導をする傍ら、作曲は勿論のこと、何人かの門弟には彼らの琵琶を自らの手で胴の刳方を調整するなど、あらゆる面から琵琶へのこだわりを持ち続けました。
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