五絃琵琶が普及していく一方、この頃は四弦歌も70曲位が作曲されていましたが、歌と同時に弾法も増加していくばかりで、手を覚えるのに皆苦労していた様でした。
これは人によって手かずが違ったり、誤って覚えることもある為、旭宗一世は旭翁に弾法譜の刊行を進言し、琵琶ではじめての譜を考案しました。
それらを父である旭翁に説明、承諾を得、120〜130もある手を分類編集し、旭宗一世は若干19歳にして「旭翁校閲、筑前琵琶弾法譜 旭宗編」を発行することになりました。
この初めての弾法譜発行の結果として、「手」が統一され、また独習にも寄与し、この道の発展に大いに役立ったことは言うまでもありません。
|