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筑前琵琶 橘流 日本橘会
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筑前琵琶の伝統と歴史
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橘旭宗 一世と筑前琵琶
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橘旭宗 一世

旭宗一世が中学卒業した時、旭翁の知り合いで近所に住んでいた薩摩琵琶の長老である寺尾氏の所へ半年ばかり薩摩琵琶を習いに通いました。しかし稽古日ごとに幾つもの手を覚えてしまうので、時折り代稽古をしていた寺尾氏の息子さんは、「あまり早く手を覚えてしまうので、もう教える手がない」と持て余され、それからは一緒に音を研究したといいます。

旭翁は四絃琵琶より音色の幅を広げるため、琵琶改造の構想にふけっていました。その折に、当時まだ学生であたった旭宗一世も琵琶の調子や音色について様々な提案をし、親子で取組み、こうして出来上がったのが「五絃琵琶」です。

五絃琵琶の考案中には、手や譜付けを提案し、旭翁に聞いてもらうと「ン、よかやネ」と受け入れてくれ、旭翁共々に五絃の手や弾法を生み出していきました。

そして五絃琵琶の完成に伴い、多くの作曲もされ、五絃琵琶は次第に普及していくことになります。

筑前琵琶 創始者、初代 橘旭翁の実子である旭宗一世の才能を見込んでいたのか、幼児期より大変可愛がり、各地方へ出張して演奏会や門弟指導をする時、毎回の様に旭宗一世を同伴させました。




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