筑前琵琶の名が有名になり、世間に広まるにつれて習得者の数も増え続け、旭翁は各地での演奏や師弟の教授など多忙を極めていました。
演奏会においては、師弟の演奏を初めから最後まで熱心に傾聴していましたが、ある時、某氏が「そんなに初めの方を聴かれてもつまらないでしょう」と言ったところ、旭翁は「いや、下手な者がおもしろい。これが非常に参考になり、かえって教えられる様な事がある」と答えたエピソードが残っています。「教うるは習うの半」であり、旭翁にとっては全てを研究の資としました。
初代 橘 旭翁は、「筑前琵琶」を自ら発案、創成するという偉業を成し遂げ、安らかなる終焉を迎えました。
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